今日はリンクが沢山のちょっと長い日記です^^
先日23日、教会は聖霊降臨
(ペンテコステ)のお祝い日で、
名甫さんの堅信式でした。「名甫さんおめでとう! 」 & 「勝手にこんな日記を書いて ごめ〜んね♪」
「堅信」というのは、カトリックの7つの
秘跡のうちの一つで、洗礼の恵みを受けて信徒となった人が、ある程度の信仰生活を送る中で、教えを理解し、一人前になる....信徒としての「成人式」のようなものです。
洗礼は、司教や神父、また緊急の場合(例えば臨終間際の人が洗礼を受けることを望む時など)一般信徒が執行することも認められているのですが、堅信は司教しか執行することができません。
私たちの所属する教会はカテドラル
(司教座聖堂)なので、毎年、聖霊降臨祭に堅信式が執り行われるのですが、各地の教会ではそうはいかず、司教が巡回して来られる時を待って堅信式となります。
とまあ、とにかく目出度い日だったわけです。
私も、彼女の
代母だし、この時ばかりはおめかしして一張羅で出かけました。
今回の受堅者は、なんと33人。あまりにも人数が多すぎて、祭壇前に並ぶのもギュウギュウ詰め。それに本来なら、一人ひとり代父母と一緒に壇上に上がり、司教の前で跪いて額に堅信のしるしの聖なる油を塗ってもらうのですが、そんなことやっていたら日が暮れてしまうので、司教が下へ降りて来られ、横一列に並んだ信徒に順番に塗油をされました。
そして無事に堅信式とミサが終わり、最後に今回の受堅者が紹介され、一人ひとり呼ばれて前に出て司教から記念品を手渡されました。
名甫さんという人は、私の勝手なイメージでは、
怖いもの知らずで、、、華奢でお茶目だけど、いつ、どこへ行こうが緊張なんてするわけない場慣れした"堂々とした常識ある大人の女性””そつのないキレイなお姉さん”みたいに思ってしまっていますが、司教に呼ばれ記念品を受け取り、皆の方へ振り返って一礼する彼女を見たとき、私は、ちょっとだけ「クスッ」と笑ってしまいました。
なぜって?
だって、
リスみたいだったんですもの〜^^
はにかんで、いそいそと自分の席に戻っていく姿は、普段の彼女からは想像出来ない、なんとも可愛らしい姿だったので、「あ〜、緊張してる〜(^w^)イヒヒ」 と、ちょっと意地悪ですが笑ってしまいました。
意地悪な私は、アライグマくんかもね。
ところで、今までの人生を振り返ってみると、
「あのとき」「あの場所」へ行かなかったら、「あの人」と出会わなかったら、今の自分は無いと思えることばかり。人と人との出会いや、信仰との出会いも、すべて何か目には見えない不思議なもので繋がっています。そう考えると、受験に失敗して希望した学校に行けなかったこと。病気で苦しんだこと。失恋。挫折。などなど、一見不幸な出来事も、すべてのことに感謝の気持ちでいっぱいです。
たぶん、これこそが『神の業』なのだろうと思います。
私の信仰との出会いは、今の相方(元々カトリックの家系に生まれ育った人)と出会ったからこそだし、ミカンを"里親募集”で見てPawAidに問い合わせたことがきっかけで名甫さんと出会ったのも、やっぱり不思議な「ご縁」としか言いようがありません。
しかも偶然とは言え、まさか同じ教会へ通っていたなんて思いもよらなかったし、ましてや、こんなチャランポランな私が彼女の代母を引き受けるなんて....
この世で起きるすべての事象には何かしら意味があるんだろう.....
きっと、そこに必要な「学び」があるからこそなのだろうと思います。
Paw Aid NEXUSの活動も、どうしたら身の丈にあった継続した支援が出来るか? 今のところ私は本を読んだり考えてばかりでブログの更新さえ出来ずにいますが、
「〜〜してやってる」みたいな上から目線の一方的な自己満足のボランティアとは違う...もっと自然に、そばに寄りそうような...
そういえば、私が風邪をひいて寝込んでるときや、哀しくて泣いていたとき、ミカンはいつも私のそばに黙って寄り添っていてくれました。そんな動物たちが自然にとる優しい行動が、人間である私たちにも出来るなら、日々の生活の中での人と人との関わり、、、困っている人、助けを求めている人、寂しそうにしている人に対して、みんながちょっとだけ目をむけてくれて、程よい距離間を保ちつつ、必要な助けや、さり気ない優しさ「愛」を配ることが出来るならば、きっと温かい世の中になるはずです。
そうなるように祈りたいと思います。私も、そういう人になれますように☆
今年の聖霊降臨祭は、例年にも増して喜びと感謝の一日でした †